第九にひそむ鰻

バス 名倉 康秋

A子さんはこの春、ウイーンの楽友協会大ホールで「第九」を歌うツアーに参加した。ウイーン在住の友人K子さんとの久しぶりのおしゃべり、そして憧れの ホールでの舞台、それに続く楽しい打上げ。軽い疲労を覚えながらA子さんはホテルに戻った。
電話が鳴った。受話器をとるとK子さんの声である。
「A子っ、演奏はまあまあだったけど、貴方達もっとドイツ語を勉強しなきゃ駄目よ」。

彼女の話はこうである。
演奏を聴き終わり道路に出たK子さんのすこし前を、声高に笑いながら行く若者の一団があった。気になったK子さんは小走りに追いついた。
「Aale、Aale・・・・・」という声が耳に入った。「あヽ、やっぱり」と彼女はとっさに彼らの笑いの意味を悟った。「alle Menschen・・・」を「Aale(鰻) Menschen・・・」と聴いた彼らは、それを笑いの種にして、楽しそうにはしゃいでいた。
その一団が街角を曲がって行くのを見送りながら、K子さんは「これはどうしてもA子に伝えなければ、伝えなければ」と思いながら、石畳の夜道を歩いた。

帰宅してやっと一息ついたA子さんは、「いつも先生に注意されているのは本当なんだな」と思いながらレコードを聴いてみることにした。「お手本はこれを措いて他にない」と選んだのは、カラヤン指揮のベルリンフィルのLP。合唱はウイーン楽友協会合唱団、そして会場はあのホール。
問題の箇所を聴いてみる。「うーん」、違うようでもあるが「Aale」に聞こえないことも無い。「ドイツ人が『うなぎ』と歌うはずは無い」と思いながら繰り返し聴いても、どうも釈然としない。他のCDを聴いてみるが、どれも「ビミョー」である。
「結局、日本人にはわからないのかなぁ」、「外国語を身につけるのは難しいなぁ」。
A子さんは、今つくづくそう思っている。

おわり

[注] Aale(鰻)の発音は[a:lə],alle(全の)は[’alə]

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