クラシック音楽と私

バス 玉津 直哉

 私がクラシック音楽に出合ったのは、23歳の頃だから、約11年前になる。
「マンガは哲学する」という意味深なタイトルがついた本の中に、「モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のフリードリッヒ・グルダ(ピアニスト)のCDで第1楽章の4分過ぎに、男の子の泣き声が聴こえてくる」という、とても興味を惹かれる文章が書かれていた。著者はかなりのクラシック音楽好きらしく、深い造詣があるようだった。あまりにその文章が印象的だったので、中古CD店で、マレイ・ペライアというピアニストの弾き振り(指揮とピアノを一人で担当すること)の同曲を見つけて買って家で聴いてみた。そのとき受けた衝撃は今でも忘れる事ができない。この音楽こそ、これからの自分とともに歩んでいく音楽だ…と思った(残念ながら、男の子の泣き声は聴こえてこなかった)。音楽を聴いて全身が痺れるような感覚を味わったのは後にも先にも、この時だけである。今は「クラシックCDの名盤」(文春新書)という優れたCDガイドがあって、それを頼りに図書館などで借りてきては、CD-Rに録音している。合唱指導の佐藤先生や運営委員の方々が勧めて下さったCDや本も聴いたり、読んだりしている。あとはNHK-FMの「クラシック・カフェ」「ベスト・オブ・クラシック」、NHK-BSの「クラシック倶楽部」「名探偵アマデウス」などをチェックしている。ベートーヴェンの「第九」については、何種類の演奏を聴いてきたか忘れてしまったほど聴いた。前記のCDガイドではフルトヴェングラーが指揮した1951年のバイロイト音楽祭でのライブ録音が良い(ある本には「この演奏がクラシック音楽の頂点」とまで書かれていた)となっているが、私の耳が悪いのか、この演奏は「ある一時代の記録」と捉えることにしている(完成度という点では随一だと思うので、一聴されたし)。最近ではクラシック音楽の人気の低下が指摘されるが、その要因として、演奏の画一性があげられるようだ。個人的にはそれだけではないような気がするのだが、それについては別の機会に書きたいと思います。

(2010.11.28)

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