七十の手習い

テノール 髙野 吉司

「なぜ、第九をうたう会に入会されたの?」
「歌が好きだから、ですかね・・」
「それだけ?」
「いや、学生の頃、ドイツ研究会というサークルでアン・ディ・フロイデなど歌っていたから、少しは歌えるかなと思って・・」
「合唱団は初めて?」
「昭和37年頃、新声会という合唱団に入会して“ミュージカル南太平洋”とか“レクイエム”などの合唱をしたことはありますが、1年ちょっとで札幌に転勤になり途絶えてしまいました。」
「結局、何が一番の動機なの?」
「おそらく全てですね。合唱の魅力が分かりかけたころ中断してしまったので心残りだったんでしょうね。それで宮崎さんから誘われた時つい気軽にその気になってしまったんですよ!」
しかしこれは大きな誤解であった。もうかれこれ45年ものあいだ、楽譜を手にすることはなかったので、いざとなると音符を必死に目で追っていっても音の方が先に逃げてしまう。
ハイドンの「来たれ、やさしき春よ!」のうちはまだよかったが、「第九」が進んでくると内心“しまった!”と後悔した。これほど難しいとは思わなかったが、もはや後の祭りである。
「さあーて困った!」と帰途考えた。
その昔、大徳寺の住職、一休禅師が臨終の時、「困ったときに開け!」と言って残した袋がある。いざお寺の一大事という時にその袋を開いたら、「なるようになる、心配するな!」とだけ書いてあった。これは“開き直れ!”という意味であろう。私もそれに倣い、開き直ることにした。
60歳の還暦を記念して『天下布武の果てに』という歴史小説を書いたが、「70歳を記念して『第九』を歌えるのも実に幸せなことだ。」と前向きに考えることにしたら少し気が楽になった。
前原先生のドイツ語の発音のご指導は実に難しいが、学生時代を想い出してなつかしく思えるし、平田先生や田手先生の発声練習はお二人の声のすばらしさに圧倒されながらも楽しく思える。女性のソプラノ、アルトの声は天国から聞こえてくるようで美しいし、男性のバスの声は地の底から聞こえてくるようで腹に響き心地よい。テノールの声は両側から押しつぶされてしまいそうで不安であるが、先輩諸氏の声に勇気づけられて、なんとか続けられそうに思えてきた。
パルテノン多摩大ホールでの演奏会のCDを聴き、今年の12月28日にその中の一員として舞台に立っている姿を想像すると、“七十の手習い”もまんざらではなさそうだと思えるようになった。
しかし、まだまだ不安の種は尽きそうにもない。

(2008.10.7記 )



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