バス 橘 義
私が「第九」のメロディーを知ったのは、小学時代、日曜学校で合唱していたときである。父が四国の新居浜で会社員のかたわら、キリスト教活動をしていたので、いやいやながら日曜日には集会に行かざるをえなかった。今から70年前の話である。
私は18歳まで父と同居をしていた。食事の前に祈りがあり、冒頭に「天のお父様」あるいは「在天の神様」といって祈りをはじめるのである。私にはどうしてもなじめず、父と楽しく会話した記憶は少ない。
父は昭和48年、71歳で病死した。墓石の表には聖書の言葉が、裏面には「橘 新(父の名前)ここに眠らず」と刻まれていた。この文句が後日、父と和解する大きな要因となるとはそのとき思わなかった。
話は大きく跳んで約10年ばかり前、私は63歳になり当会に入会した。そして楽譜の理解とともに、シラーの詩について興味をもった。そこに私がかねてから抱いていた人生観と全く同調する部分のあることに驚き、かつ嬉しかった。その部分の「星空のかなたに創造主をもとめよ!星々のもとに創造主が住んでいるに違いない」とへりくだっているところが、特に気に入った。
「第九」を歌っているうちに、私と父の死生感は同じではないかと思うようになった。私は時どき、自分の命が絶えれば、肉体は単なる物体となり、魂は「永遠の生命」を与えられ、天国に行き、星空にかこまれて、俗界を眺めてみたいなと、想像したりする。この思想は父が「天のお父様」と祈っていたこと、墓石に「我、ここに眠らず」と記していること、さらには葬儀に歌った賛美歌「主よ、みもとに近づかん」などと併せ考えると、極めてよく似ていると感ずるようになった。「ここに眠らず」とは、肉体はここ(墓)に置いたまま精神は創造主のところへ行きます」と宣言したものであろう。
私のこの考えを、父は喜んでいるであろう。父が生きている間に互いに話し合って、理解し合っていたら、更にどんなに良かったかと思っている。父は、私の歌う「第九」を、創造主の横で聴いていてくれると信じている。この世に命がある限り歌い続けたい。
(2011年7月加筆)