仲間を信じ、平和を求め、今年も「Freude !」

テノール 平野 幸司

これは、2007年11月25日、多摩第九の立川公演前日のリハーサルのことです。
アミュー立川の舞台に再び立てるとは思ってもいなかった感動の日でした。
その7年前、脳梗塞で入院した時(この時のことは『多摩第九20年記念誌』にも書きました)、その12月の最後のステージには立ちたい一心でリハビリに打ち込みました。特に言語障害回復には巻き舌の訓練が大切、と療法士の助言に「第九」の楽譜を持ち込み練習したお蔭で11月の二週目から練習に再び参加、12月15日の「三多摩第九30周年演奏会」の本番を迎え無事打ち上げられたのでした。
その思い出のステージで、バリトンソロを合図に一斉に立ち上がるとき、瞬時に立ち上がれず(もちろん仲間の手助けはありましたが)内心オタオタしてしまい、何とかfreude!の声に間にあったのでした。
舞台の段差が低く、屈むと立ち上がるのに必要な腰(上脚筋)の筋力が弱っていることもあり、また、右手の杖が滑ってしまい役立たずで、精神的に焦るばかりでした。
今年で50年目(第九を歌い始めて)、マア良く続けてきたものだ、我ながら感心しています。時には風邪を引いて本番を休んだことも何回かはありましたが、そうした時は、他の会場の応援に出掛けたりしたのでした。
何でそんなに「第九」をうたい続けて来たのかというと、若い頃(24?)、音楽評論家の山根銀二氏の学習会で「ベートーベンは共和主義者で、当時の反動主義者メッテルニッヒの勢力と戦う気持が強く、権力を否定する動きに味方をし、フランス革命にも共感しナポレオンに『第3交響曲』を捧げようとした話は有名だが、この「第九」は、国際的・国内的な反動勢力の弾圧に対抗する激しい怒りを象徴する作品として作ったのだ」と強調したのでした。
そこで、現在の民主主義革命の立場に立つ一作品として取り上げることに意義を見出し歌うようにとも話され、このことをかみ締めて今年も歌うつもりだし、このように考えると『第九』の精神は『憲法9条』の『平和へのメッセージとして同じ』だと言えると思います。
そう考え今年も歌うつもりです。(でも、本番の時、また、仲間の手の支えが必要か? 昨年、本番の時、後から両脇を支えてくれた仲間の手を信じ・・・)

(2011年7月:修正加筆)



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