クラシック音楽の現状

バス 玉津 直哉

18~19世紀(1701~1900)は、「作曲家」の時代です。モーツァルトやベートーヴェンらの古典派から、ブラームスやブルックナーらのロマン派まで、さまざまな作曲家がいろいろな作曲家の影響を受け、作曲を繰り返しました。普遍性のある名曲が生まれたのも、この時代でした。20世紀は「演奏家」の時代です。クラシック音楽のカテゴリーでは名曲が生まれにくくなったのと同時に、優れた演奏家が優れた古典(クラシック)音楽を演奏する、というスタイルが定着しました。SP、LPレコードの発明が、優秀な演奏家の音楽を自宅にいながらにして聴く事を可能にし、交通機関の発達(言うまでもなく航空機)が、演奏家に世界中を駆け回る事を可能にしました。そして、20世紀の演奏家の時代の極めつけが、指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンの登場でした。そして、カラヤンの死とともに、クラシック音楽も一つの時代の終焉を迎えました。21世紀はクラシック音楽にとってどんな時代を迎えるのでしょうか?ズバリ「大量消費の時代」です。第二次大戦後、多くの音楽家が金儲けの為にアメリカに渡ったように、クラシック音楽も金儲け中心の大衆音楽のようになってしまうのではないかと思います。経済大国の日本にいれば、どんな演奏家のどんな録音だって聴けます。ショパン・コンクールの覇者で、日本で演奏したことがない演奏家が果たしているでしょうか?(日本で演奏する事が拝金主義につながるのか?という疑問も沸いてきますが、そもそも日本の聴衆の耳が肥えているから日本で演奏してみたい、と演奏家は考えているのでしょうか…?)。私が言いたいのは金儲け主義が悪い、という事ではなく、そうなる事によって、名演が生まれにくくなっているのではないのか、という危惧です。金儲け主義を超越した真の名演を聴いてみたい、と思うのは私だけでしょうか。それだったら、フルトヴェングラーやコルトー(20世紀の名演奏家達)を聴け、とお叱りを受けるかも知れません。しかし、私は21世紀の演奏家による、21世紀の名演を聴いてみたいと思う。 何を基準にして「名演」と定義するのかも難しいですが、それが「『現代』を生きる我々に何かを与えられる演奏」であることは、間違いないと思っています。

(2010.12.13)

中島章雄さんの思い出

バス 宮崎 孝延

今日の練習の中に、中島さんの姿はない。二十三年間も会員としてすごし、役員としても二十年間つくした彼が、今年二月忽然と五十五歳の若さで亡くなられた。 昨年の暮れには、パルテノン大ホールで一緒に唱ったのに。持病があったようだが、一生けんめいに練習にも出て頑張っていたので、私は気がつかなかった。 彼はテナーの名手だった。パルテノンばかりでなく、国の内外の有名なオーケストラとも唱っていた。ナルトや高松にもたびたび行ったし、ベルリン・フィルやロンドン・フィルとも共演したりした。しかもお母さん想いで、母上さんと一緒のことが多かった。いろいろ体験することで、自分を鍛えていたのだ。 彼はよく私に、「第九を若い青少年たちに広げていきたい」と話かけていた。今年、中央大学オーケストラとの共演を楽しみにしていた。しかも、中央大学の創立125周年記念演奏会とし、ミューザ川崎のコンサートホールでも唱うのは栄誉なことだと喜んでいた。さらに来年には「多摩ユースオーケストラ」という、小学生から大学生までの若いオーケストラと私たちが共演することを、吾が事のように、期待していた。パルテノン多摩で、土・日の2回公演をし、互いにチケット売りをがんばり、1回分は多摩第九合唱団の運営費に当て、1回分はユースオーケストラ側の団員研鑽の費用に回したらと言っていた。彼自身、若いころピアニストとして、良き師について研鑽をつんだ日々があったればこそ、肺腑をつく言葉だった。 彼は本当に第九が好きだった。「楽聖といわれるベートーヴェンが人生の最後に、渾身の力を振り絞って作った交響曲だから、それに応えて私たちも全力で取り組めば、その真価がよくわかってくるはずだ」「人間を変え、国を変え、世界を変える名曲だ」と熱っぽく語ってくれた。 「第九」の真価にめざめた1人が1人の友に、その1人がまた1人に、次つぎと1人が1人に伝えていくのが「市民第九」だ、そこがプロの第九とちがう点だとも言った。 私はチケット売りを、もう一息がんばって、暮れの第九を満席にして、来年は晴れて、老いも若きも一つになって、いのちの響き合いが、多摩の丘に湧き上がることを願いつつ歌おうと思う。 中島さんは美しい魂の持ち主だったから、星のかなたに昇っていて、私たちの第九を聴いてくれるにちがいない。 「Über Sternen muss er wohnen.」

(2010.11.28)

クラシック音楽と私

バス 玉津 直哉

私がクラシック音楽に出合ったのは、23歳の頃だから、約11年前になる。 「マンガは哲学する」という意味深なタイトルがついた本の中に、「モーツァルトのピアノ協奏曲第20番のフリードリッヒ・グルダ(ピアニスト)のCDで第1楽章の4分過ぎに、男の子の泣き声が聴こえてくる」という、とても興味を惹かれる文章が書かれていた。著者はかなりのクラシック音楽好きらしく、深い造詣があるようだった。あまりにその文章が印象的だったので、中古CD店で、マレイ・ペライアというピアニストの弾き振り(指揮とピアノを一人で担当すること)の同曲を見つけて買って家で聴いてみた。そのとき受けた衝撃は今でも忘れる事ができない。この音楽こそ、これからの自分とともに歩んでいく音楽だ…と思った(残念ながら、男の子の泣き声は聴こえてこなかった)。音楽を聴いて全身が痺れるような感覚を味わったのは後にも先にも、この時だけである。今は「クラシックCDの名盤」(文春新書)という優れたCDガイドがあって、それを頼りに図書館などで借りてきては、CD-Rに録音している。合唱指導の佐藤先生や運営委員の方々が勧めて下さったCDや本も聴いたり、読んだりしている。あとはNHK-FMの「クラシック・カフェ」「ベスト・オブ・クラシック」、NHK-BSの「クラシック倶楽部」「名探偵アマデウス」などをチェックしている。ベートーヴェンの「第九」については、何種類の演奏を聴いてきたか忘れてしまったほど聴いた。前記のCDガイドではフルトヴェングラーが指揮した1951年のバイロイト音楽祭でのライブ録音が良い(ある本には「この演奏がクラシック音楽の頂点」とまで書かれていた)となっているが、私の耳が悪いのか、この演奏は「ある一時代の記録」と捉えることにしている(完成度という点では随一だと思うので、一聴されたし)。最近ではクラシック音楽の人気の低下が指摘されるが、その要因として、演奏の画一性があげられるようだ。個人的にはそれだけではないような気がするのだが、それについては別の機会に書きたいと思います。

(2010.11.28)

歓喜に感謝

ソプラノ 三津山 千鶴

私は、去年(2009年)初参加(ソプラノ)の、三津山と申します。 まったく何もわからないまま、お仲間に加えていただいたのですが、役員の方々の細かいご配慮と、先生方のユーモラスで熱のこもったご指導のおかげで、毎週楽しく練習させていただくことができました。 本番では、「♪ゲッテル フンケン」と歌い終わった瞬間、感動の涙があふれて、思わずおとなりの方の手をつかんでしまいました。 その方は優しいかたで、わたしの気持ちを察して、ぎゅっと握り返してくださいました。 久々に味わえた、高揚感と感動でした。 今日CDが届きましたので早速聴きました。再びあの感動がよみがえってきて胸があつくなりました。 忙しい時期に大変な作業でしたでしょう。 ありがとうございました。感謝もうしあげます。

今年も、是非参加してうたいたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。

2010年4月

初回の演奏会を思い出して

アルト 小田良子

私の使っている楽譜の大扉に,図のような「おめでとうございます」という前原先生のサイン、「29.11.‘87」と書かれたドイツ語指導の亀井陽二先生、それに平田典之先生のサインが記されている。 これは、第一回パルテノンでの第九の感激がよみがえってくる私の宝物である。 何がそうさせたのか、ふと、第九を今年は歌ってみよう思い立ち、この歌う会に参加させてもらった。驚いたことに、あの一回目からずっと毎年歌ってこられた方々と何人もお逢いした。その情熱と熱心さには頭が下がる。 22年も経った今、私は初心者と同じである。佐藤先生はじめ、熱心な諸先生のご指導で何とか歌えるようになった。イタリア留学前の平田先生にご指導いただいたことも懐かしく思い出され熱が入る。先日(11月15日)はきめ細かい高橋先生の本棒練習を受け、まだオケ合わせはしていないが、あの頃よりはるかに進歩を重ねている多摩管との演奏が胸おどる思いで待たれる。 本当に歓喜の歌である!! 皆さんどうぞよろしく。